「お金を残して死ぬな」
DIE WITH ZEROのメッセージは、強烈です。
けれど、この言葉に惹かれる一方で、戸惑いも感じていました。
いくら残すかではなく、どう使い切るか。
確かにその通りだと思う。
でも、日本で暮らす自分には、本当に実践できるのだろうか?
仕事を手放せない。
家族がいる。
将来が不安だ。
現実には、理想論だけでは片付かない制約がいくつもあります。
それでも、この考え方を無視できなくなっています。
行ってみたい場所がある。
今だからこそ、やっておきたいことがある。
それを後回しにしたまま時間だけが過ぎていくのは、取り返しのつかない損失だ。
この記事では、DIE WITH ZEROを理想論として消費するのではなく、日本の生活の中でどう考え、どう実践するのか。
その現実的な道筋を、一緒に探っていきます。
DIE WITH ZEROとは、どんな考え方か

DIE WITH ZEROは、「貯金をゼロにして死ね」という極論ではありません。
本質は、人生におけるリソース配分の最適化です。
人生には、時間、体力、お金という限られた資源があります。
特に、時間と体力は、どれだけお金を積んでも買い戻せません。
20代の体力で登る山と、60代の体力で登る山では、同じ景色を見ても得られる感動が違います。
子どもが小学生の今と、成人してからでは、一緒に過ごせる時間の質が違う。
年齢を重ねるほど、同じお金を使っても、得られる体験の価値は下がっていきます。
この考え方を体系化したのが、ビル・パーキンスの著書『Die With Zero』です。
本の中で彼は、体験から得られる価値を**「思い出の配当」**と表現しています。
お金は使えばなくなります。
しかし、体験は違う。
思い返すたびに価値を生み、時間をかけて何度も心を満たしてくれる。
旅行の写真を見返すとき。
かつての仲間と思い出話をするとき。
あなたはその体験から配当を受け取っているのです。
この「思い出の配当」という視点こそが、DIE WITH ZEROの核心です。
なぜ今、DIE WITH ZEROが気になったのか

正直に言えば、資産形成はある程度進んでいます。
住宅ローンも返し終え、教育費にも目処が立ちつつある。
「明日食べていけるか」という不安はありません。
それでも、引っかかる感覚がありました。
「いつかやりたいこと」が、増え続けている。
でも、それを後回しにする理由は、いくらでも見つかります。
仕事が忙しい。
今はタイミングじゃない。
もう少し落ち着いてから。
そうやって先送りしているうちに、気づけば一年が過ぎ、また一年が過ぎていく。
お金は増えても、時間は増えません。
体力も、集中力も、確実に変化していきます。
その現実を前にして、DIE WITH ZEROを無視できなくなっていました。
ある朝、鏡を見ながら思いました。
「このまま働き続けて、いつか余裕ができたら旅に出よう」と先送りした結果、その「いつか」が来たとき、自分は本当にその旅を楽しめる体力を残しているのだろうか?
答えは、おそらく「ノー」です。
日本の生活で、そのまま実践できない理由

DIE WITH ZEROに共感しつつも、「日本では難しいのでは」と感じる人は多いはずです。
それは、意志が弱いからでも、覚悟が足りないからでもありません。
日本の生活には、DIE WITH ZEROをそのまま適用しにくい、構造的な理由があるのです。
仕事を簡単に手放せない構造がある
日本では、仕事は単なる収入源ではありません。
生活そのものを支える基盤です。
社会保険、年金、住宅ローン、社会的信用。
多くの制度が、「安定して働き続けること」を前提に設計されています。
転職市場も、キャリアの空白期間に厳しい。
DIE WITH ZEROは、若いうちに体験へ投資する考え方です。
しかし日本では、仕事を一度手放すと、同じ条件に戻るのが難しいケースも少なくありません。
「今を優先する」という選択が、そのまま将来のリスクにつながってしまう。
この構造が、実践の大きなハードルになっています。
家族がいると、判断は一人では完結しない
DIE WITH ZEROは、個人の人生設計としては合理的です。
ただし日本では、人生の多くの判断が家族単位で行われます。
結婚、子育て、教育費。
これらは、自分一人の価値観だけでは決められません。
体験に時間やお金を使うことが、家族の安心を削るように見えてしまう場面もあります。
パートナーに「今じゃなくてもいいんじゃない?」と言われたとき、あなたは自分の考えを貫けるでしょうか?
結果として、「自分の人生を優先する」という選択そのものが、どこか後ろめたく感じられてしまう。
ここも、日本ならではの難しさです。
将来不安が完全には消えない
日本では、老後、医療、介護に対する不安が根強く残っています。
年金制度への不信感もあり、「ここまであれば十分」と言い切れるラインが見えにくい。
DIE WITH ZEROは「使い切る」思想です。
しかし、将来の支出が読めない以上、お金を残しておきたい気持ちは自然です。
「もし認知症になったら?」
「もし介護施設に入ることになったら?」
そんな問いに対する明確な答えがない限り、不安は消えません。
不安をゼロにできない社会構造そのものが、DIE WITH ZEROの実践をためらわせています。
貯蓄を評価する文化が強い
日本では、お金を使うことよりも、貯めることが美徳とされがちです。
体験にお金を使うと、「今じゃなくてもいい」「贅沢だ」「まだ早い」と言われることも多い。
周囲の目が、無言のプレッシャーになります。
DIE WITH ZEROが重視する「思い出の配当」は、数字にならず、他人からは見えにくい価値です。
銀行口座の残高は見えても、心の充実度は見えない。
そのため、合理的な判断であっても、周囲の目がブレーキになることがあります。
「今しかできないこと」を判断する軸がない
DIE WITH ZEROを実践するには、「今やるべきこと」と「後でもいいこと」を分ける必要があります。
しかし、その判断軸を学ぶ機会はほとんどありません。
学校でも、職場でも、人生の時間配分について教えられることはない。
結果として、多くの人が「とりあえず先送り」を選び続けます。
判断できないから、現状維持を選ぶ。
それが最も安全に見えるからです。
DIE WITH ZEROが難しく感じられるのは、意志の弱さではなく、判断基準を持てていないことも大きな理由です。
それでもDIE WITH ZEROを無視できない理由

構造的な難しさがあるのは事実です。
それでも、この考え方を手放せない理由があります。
後回しにした体験は、あとから取り戻せないからです。
年齢や体力が変われば、同じ体験でも価値は変わります。
「いつかやる」は、統計的に見ても、多くの場合「やらない」で終わる。
残るのは、やらなかった後悔だけです。
この後悔は、どれだけお金を積んでも解決できません。
60歳になってから「あのとき行っておけばよかった」と思っても、もう20代の自分には戻れない。
だからこそ、思い出の配当という考え方が、強く刺さるのです。
「いつか行こう」と思っている場所があるなら、具体的に日付を仮押さえするだけでも、行動は一歩前に進みます。
宿や体験を眺めるだけでも、判断の解像度は上がります。
私が考えるDIE WITH ZEROの現実的な実践の形

DIE WITH ZEROは、ゼロか百かで考えるものではないと思っています。
仕事も、備えも、完全に捨てる必要はありません。
ただ、少しだけ前倒しする。
今しかできないことを、意識的に優先する。
その積み重ねで、人生の質は確実に変えられる。
そう信じています。
具体的には、こんなイメージです。
- 完全リタイアではなく、仕事のペースを少し落とす
- 全財産を使い切るのではなく、今しかできない体験に一定額を割り当てる
- 家族と対話しながら、お互いの「今やりたいこと」を共有する
- 将来への備えは維持しつつ、体験への投資も増やす
すべてを変える必要はない。
バランスを少しだけ、今の方向へシフトさせる。
それだけで、人生の質は大きく変わると考えています。
このサイトで書いていくこと
このサイトでは、DIE WITH ZEROを手がかりに、人生の使い方を考えていきます。
扱うテーマは、次の4つです。
・考え方 — 人生の時間配分をどう設計するか
・仕事 — キャリアと体験のバランスをどう取るか
・今しかできないこと — 何を優先し、何を後回しにするか
・お金 — 資産形成と体験投資をどう両立させるか
完成された答えは出しません。
迷い、考え、試しながら、少しずつ形にしていく。
その過程を、ありのままに記録していきます。
まとめ
DIE WITH ZEROは、日本の生活にそのまま当てはめるには、確かに難しい考え方です。
仕事の構造、家族の存在、将来不安、文化的価値観。
どれも無視できない現実です。
だからといって、この考え方を切り捨てる必要はありません。
すべてを変えなくていい。
仕事も、備えも、守るべきものは守っていい。
ただ、今しかできないことを、少しだけ前倒しする。
その意識を持つだけで、人生の質は変わります。
DIE WITH ZEROは、極端な生き方を選ぶための思想ではありません。
人生を、後悔なく使い切るための視点です。
このサイトでは、その視点を現実に落とし込みながら、迷い、考え、試していく過程を記録していきます。
共感できるところだけ拾って、それぞれの人生に持ち帰ってもらえたら嬉しいです。


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